- 知る
早稲田よ、あれがパリの灯だ!
メダリストに実況アナが聞く
フェンシング大躍進のパリ五輪
フェンシング男子エペ個人で金、団体で銀を取った加納虹輝選手と、
男子フルーレ団体で金を取った松山恭助選手。
現地で実況を担当した校友の土井敏之アナウンサー(TBS)から、
校友メダリスト2人に、パリ大会の裏側やお互いの印象などについて、
思い出の早稲田大学フェンシング場を背景に聞いてもらった。
取材・文=藤田健児(1987年法学) 写真=蔦野 裕
エペ個人金・エペ団体銀
加納虹輝
かのう・こうき/1997年愛知県生まれ。2020年スポーツ科学部卒業。日本航空株式会社所属。小学校6年生よりフェンシングを始める。21年オリンピック東京大会で団体優勝、24年パリ大会で個人優勝、団体2位(全てエペ)。同種目でのオリンピック個人優勝は日本勢で初の快挙。
フルーレ団体金
松山恭助
まつやま・きょうすけ/1996年東京都生まれ。2020年スポーツ科学部卒業。株式会社JTB所属。全国高校総体で3連覇、全日本フェンシング選手権でも二度の優勝経験を持つ(全てフルーレ)。24年パリ大会では、男子フルーレ団体に世界ランク1位で臨み、同種目初の金メダルを獲得。
フェンシング実況
土井敏之
どい・としゆき/1970年東京都生まれ。1994年法学部卒業。在学中はアナウンス研究会に所属した。大学卒業後はNHKに入局。96年TBSに籍を移し、主にスポーツ中継の実況を務める。臨場感を逃さない実況に定評があり、パリ大会ではフェンシング団体種目の実況を担当した。
パリ大会の結果を振り返って
1本取って、2本目を取ってからは
そのまま勝てると思いました(加納)
土井 まずは個人戦から伺います。日程が先だったエペの加納さんは順調に勝ち上がったように見えました。
加納 準決勝は苦しかったですね。前半はリードされる状態が続き、逆転してからも食らいついてきましたから。でも、追いつかれて一本勝負になった時はいける気がしていて。最後は気持ちでした。
土井 決勝はスコアが動かなかった。
加納 仕掛けに行った方がやられる確率が高いので全然動かなかったんですけど、相手が最初に仕掛けてきた。1本取って、2本目を取ってからはそのまま勝てると思いました。感覚がすごく良かったので。
土井 ついに個人で頂点に立った。
加納 正直、準決勝の方が苦しい試合を勝ち切ったということで喜びは大きかったですね。決勝はかなり余裕を持って戦えたので、準決勝ほど湧いてくる感情はなかったです。
土井 松山さんはフルーレで3回戦敗退。悔しい思いがあるのでは?
松山 そうですね。メダルを複数取ることにこだわっていたので。僕の長所は技術で、どんな相手でも懐に入れば勝負できる。そのためにフットワークを強化してきたのですが、ずっと調子が悪くて。大会前の調整も含めて、この反省を次に生かしたいという気持ちが強いです。
土井 その後、団体戦に向けてどのように気持ちを切り替えましたか。
松山 開幕前の段階で僕らは世界ランキング1位でしたし、自分たちの力を出せれば金メダルは射程圏内だと思っていました。あとはもう自分の力を出せる準備をして臨もうと。
土井 その団体戦、日程が先のエペから伺いますが、ハンガリーとの決勝は前半から相手のリードを許す展開に。最終戦の残り6秒98で加納さんが追いつきましたね。
加納 7秒あったら1、2点は取れるので、そんなにギリギリという感覚はなかったです。ただ、一本勝負は追いついた側の勢いがつくものなんですが、意外に相手が強気で、点を取り返されてしまいました。とはいえ、絶対に4人でメダルを持って帰りたかったので、表彰台では悔しさよりも喜びの方が大きかったです。
土井 一方のフルーレ団体は、団体種目四つのうち、前の三つがメダル獲得という状況で迎えましたね。
松山 俺たちもメダルを取らなきゃ日本に帰れないなと(笑)。
土井 地元フランスとの準決勝は松山選手の2試合目、第6試合で均衡状態からリードに持っていきました。
松山 この試合がキーポイントだと思っていたので集中しましたね。全員が最後まで集中力を切らさないことで勝てましたが、高層ビルの間を命綱なしで綱渡りしているみたいな感覚でした。今までで最も緊張したかもしれない。イタリアとの決勝は僕は3試合全てつなぎ役でしたが、ピリオドを決める1点は全部取っていて、それは大きかったかなと。
土井 改めてフルーレ団体での金メダル、どんな気持ちでしたか。
松山 いろいろなことが報われましたし、新しい歴史をつくれたのはうれしいです。ただ、大事なのはここから何を積み上げていくか。もう一度あの感覚を味わいたいので、早く次を目指したいなと思っています。
良き先輩後輩としてお互いに意識
いろいろなことが報われましたし、
新しい歴史をつくれたのはうれしいです(松山)
土井 松山さんは、小さい頃から早稲田と縁があるんですよね。
松山 WASEDA CLUB(※)の出身で、まさにこの道場で練習していました。当時の監督から「フェンシングだけではない大人を目指してほしい」と言われていて、その頃から早稲田に入ると決めていました。
土井 加納さんはなぜ早稲田に?
加納 高校でフェンシングを教えてくれた先生が早稲田出身で、何度かここで練習もさせてもらいました。部の雰囲気も良くて、僕も早稲田に入るんだと勝手に思っていました。
土井 お二人は先輩後輩の間柄です。
松山 実は誕生日(12月19日)が一緒なんですよ。他種目では一番、仲がいいですね。加納はストイックで、フェンシングが大好きという印象。常に練習し、筋トレしている。だからこそ強いんだと納得ですよね。
加納 恭助先輩もストイックで真面目ですよ。高校時代に声をかけてもらったことがあって、強い選手だから怖いイメージが何となくあったんですけど、そんなこと全然なくて話しかけやすかったです。
土井 ちなみに、フェンシング以外で楽しみにしていることは何ですか。
松山 スポーツ観戦が好きですね。野球もサッカーも大好きで、夏はサーフィンをやっています。
加納 僕は車が好きで。レースをしたいんです。家でもシミュレーターで練習しています。
全員 えーっ!
加納 練習後にやると1時間くらいで汗だくになる。一種のスポーツですね。Gはかからないですけど。
松山 そろそろ首とかトレーニングした方が良いんじゃない(笑)?
※WASEDA CLUB(通称:ワセダクラブ) 早稲田大学体育各部の校友、現役が中心となり、全ての市民を対象とした各種スポーツの普及・振興事業を行っている特定非営利活動法人。
男子エペ団体決勝で、ハンガリー代表と対戦する加納選手。安定感のあるパフォーマンスでチームを支える。
男子フルーレ団体決勝でイタリア代表と対戦する松山選手。東京大会に続き、キャプテンとしてチームをけん引
※写真は共同通信社提供
今後の目標とフェンシングの未来
土井 パリ大会で日本は大躍進しました。その理由は何でしょう。
松山 一つは2008年の北京五輪で太田雄貴さんが日本人として初めてメダルを獲得したのを見た僕らの年代が、メダルを現実的な目標として捉えたこと。そこに素晴らしい練習環境を整備してもらい、外国人コーチが自信を付けてくれた。そうした強化が実ったのだと思います。
土井 今回フェンシングに興味を持った人も多いと思います。持続させるために取り組みたいことは?
松山 僕はまず、出身の台東区にクラブを復活させたい。4歳の時に兄と参加したクラブは閉鎖してしまったんです。子どもたちとも積極的に関わっていこうと思っています。メダルに触れれば自分も頑張ろうと思うだろうし、自分で言うのも何ですけど、一生の思い出になるので。
加納 僕は太田さんを見て“かっこいい”と思ってフェンシングを始めました。だからまずはかっこいいと思ってもらいたい。そのために体験できる場所や環境をつくっていかなければと思っています。各県に2、3個ずつクラブチームができればもっと普及するだろうと。「加納虹輝杯」という大会を毎年開催していますが、これがきっかけで競技を始めたという話も聞きます。こうした活動は今後も行っていきたいです。
土井 最後に今後の目標を。
松山 まずはロサンゼルス大会の出場権を取ること。もちろん目指すのは個人と団体の金メダルですけど、今そこにとらわれてしまうのは避けたい。まだ獲っていないタイトルがたくさんあるので、そこを目指して競技の質を高めていきたいですね。
加納 目標は今回と同じですけど、4年は長いので、そこだけを見てモチベーションを保っていくのは難しい。まずは年間10大会ある国際大会一つ一つにフォーカスしていくつもりです。中でも世界選手権を取れば全部の大会で優勝したことになる。これだけは絶対勝ちたいです!
土井アナの取材後記
加納さんは想像通り、柔らかい雰囲気の方でした。でも、7秒あれば点が取れるとサラッと言えるあたりは次元が違います。松山さんはさすがキャプテンという印象。つなぎ役を自認されていましたが、大事な仕事をされていたんだと感じました。お二人とも準決勝がいちばん緊張したというのはなるほどなと。今回グラン・パレという最高の舞台で、金メダル獲得の瞬間に立ち会えたのはご褒美をいただいた気分でした。
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