- 知る
共に覇者へ
野球部 副務 神田 航
自分の仕事が天皇杯につながると信じて。
できることは何でもやる
かんだ・わたる/ 2002年茨城県生まれ。文学部4年。
テレビで見た早慶戦に感銘を受けて、早慶戦出場を目標に早稲田大学高等学院から早大へ。
「日本一になる資格のあるチームとは、当たり前のことを高い水準で当たり前にできるチームだと思う。それを結果で示したい」と天皇杯に熱い闘志を燃やす。
試合中は角帽姿でベンチに入り、スコアを付ける。「かつて部長を務めた外岡先生※いわく『普通の学生に許されることが許されない。それを光栄と思わなければいけない』。期待されるのはありがたいこと」と神田はプレッシャーをものともしない
2年生になる際に選手からマネージャーを出す決まりがあり、半年間話し合って、自分がやることになりました。小学校1年からやってきた野球に区切りを付けることになるけど、同期から頼まれた以上やるしかないと。
野球部ではマネージャーを広報と会計に分けていて、今年は主務が広報、副務の自分は会計の担当。用具の購入から部費の徴収、寮の運営、キャンプ費用など、部のお金の出入りは全て自分が責任を持って管理しています。会社でいう経理みたいなものだと思います。
会計関係の書類
気を付けているのは、いかにミスを出さないか。立場上ミスはあってはならないし、あってもすぐ対処できるようにしています。また、監督や学生コーチ、選手が考えていることと自分たちにズレがあってはいけない。できるだけ彼らの話を聞いて思いをくみ取り、これをやりたい、あれが欲しいと言ってきた時も可能な限り応えたいと思っています。
マネージャーになって最も印象深かったのは春夏のキャンプ。とにかくきつい。スタッフを多くは連れていけないので、自分が打撃投手やノッカーも務め、合間に通常業務をこなし、帰ったら洗濯。朝6時台に起きて日付が変わってから寝るという毎日でした。
会計業務中はパソコンと一途に向き合う
やりがいは何か?
──早慶戦に勝った時はもちろんうれしいけれど、本当の喜びはまだ味わっていないというのが正直なところ。入学してから天皇杯(リーグ優勝)を一度も取っていないので。選手を断念したのが正しかったのかも分からない。だからこそ自分のやっていることが天皇杯、そして日本一につながるんだと信じて、勝つためにできることは何でもやるしかない。それがモチベーションになっているし、日本一になって初めて本当のやりがいを実感でき、マネージャーになったことが正解だったと納得できる。そのために今があるのだと考えています。
愛用するペンとスコアシート
※外岡先生:外岡茂十郎(とのおか・もじゅうろう/1898~1986年)。法学博士。1942年より早大野球部の部長を務める。1943年、出陣学徒壮行早慶戦を敢行。戦後、アマチュア野球の発展に尽力。
毎号特集テーマを変えて、早稲田の今や社会で活躍する校友の姿を伝える、コミュニケーション誌『早稲田学報』。
校友会員の方は定価1,000円×6(隔月刊)=6,000円のところ、校友会費5,000円でご購読いただけます。
校友会員以外の方もご購読いただけます。また、1冊のみのご購入も可能です。