- 知る
ワセダ建築探訪
常に時代をけん引してきた早稲田出身の建築家たち。
早稲田建築を語る時には外せない、 個性あふれる建築家と代表的な建築作品を紹介する。
文=黒岩千尋(2014年創造、16年創造研修)
© TOKYO TOWER
東京タワー
内藤多仲 (早稲田大学名誉教授)
東京都港区
1958年
高度経済成長期の日本を象徴し、数々の文学・映像作品に描かれてきた「東京タワー」。1950年代からテレビ放送が隆盛したことで、各局の電波塔を一本化する必要性が唱えられ、その設計を依頼されたのが、早大名誉教授で構造設計の第一人者・内藤多仲であった。依頼内容は「312メートルのエッフェル塔をしのぐ総合電波塔」。内藤は生涯に約60の塔を設計し「塔博士」の異名を持つ。54年に「名古屋テレビ塔」(高さ180メートル)、56年に大阪の二代目「通天閣」(高さ103メートル、現在は108メートル)を立て続けに設計。2年後の「東京タワー」は高さ333メートルで、それまでに設計した塔の2倍の高さに及んだ。風速90メートル毎秒の台風、関東大震災以上の地震という未知の揺れにも耐えられるよう、描いた設計図は1万枚以上だといわれている。建設には計543日と延べ22万人を動員。安全性を確保した塔の構造美は、東京のシンボルとして愛され続けている。
文=萩原詩子
日本生命日比谷ビル
村野藤吾 (1918年専早大理工)
東京都千代田区
1963年
日比谷公園の向かいにある、日生劇場の入った建物。壁に淡紅色の万成石を張った、窓の少ない外観は重厚だが、足元は太い柱で持ち上げたピロティになっている。1階部分を開放することで、劇場とオフィスという機能の異なる空間を、一つの建物に調和させた。
劇場に行くにはガラス張りのロビー空間を抜け、赤い絨毯が敷かれた階段を上る。その先には赤と白の対比が鮮やかなホワイエが開け、さらに劇場の内部は洞窟のように有機的な曲面で包まれている。壁には青・ピンク・白・金のモザイクタイル、天井はコバルトブルーの石こうに、2万枚ともいわれるアコヤ貝がびっしりと張られている。
文=伏見 唯(2006年理工、08年工研修、14年創造研博後)
写真提供=日本二十六聖人記念館
日本二十六聖人記念館・聖堂
今井兼次 (1919年専早大理工)
長崎県長崎市
1962年
スペインのサグラダ・ファミリアで有名なアントニオ・ガウディの建築を、日本で見るならここ。正確には、ガウディを彷彿とさせる建築を見ることができる。有機的な曲線のフォルムや、外壁を彩る陶器片のモザイクは、まさにガウディ風。この日本二十六聖人記念館と聖堂を設計した今井兼次は、建築家であると同時に、ガウディの研究者でもあり、その嗜好と成果が十二分に発揮されているのだ。
日本二十六聖人というのは、豊臣秀吉の命令によって処刑された26人のクリスチャンのこと。後に彼らはカトリック教会によって聖人に列せられ(1862年)、その列聖100周年に記念館と聖堂が建てられた。クリスチャン処刑は異文化の接触で起きた悲劇だが、その記憶を伝える建物では、今井のガウディに対する国を超えたオマージュが、優れた意匠として結実している。
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