「野球のこころ」~甲子園、神宮から明日へ~
- 会場
- 大隈記念講堂 小講堂
- 時間
- 14:00~15:30
甲子園大会、及び神宮で大いに活躍、六大学野球を指導されてきた方々をパネラーとしてお迎えし、放送席のマイクを通じ現場を知り尽くしたNHK杉林昇(元甲子園・東京六大学野球実況アナウンサー)のリードで、現役選手当時から、現在に至るまでの甲子園、神宮に対する熱い思いを語ります。
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鍛治舍 巧(元パナソニック野球部監督)
1951年生まれ。岐阜県立岐阜商業高等学校3年時の第41回選抜高等学校野球大会準々決勝で大会通算100号本塁打を放つなど活躍。その後早稲田大学に進学し、1年春からベンチ入りし東京六大学リーグ5季連続打率3割オーバーなど中心選手として活躍、9季ぶりとなる73年春季リーグ戦の優勝に貢献。ベストナイン2回受賞。また日米大学野球選手権大会でも日本代表の4番打者を務めた。早大卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に入社。2年目の75年秋にはプロ野球・阪神タイガースからドラフト2位指名を受けるも入団を拒否し、以降も松下でプレーを続け80年に現役を引退。87~91年に松下電器野球部の監督に就任。この他にも同部長やアマチュア日本代表のコーチも歴任。少年野球では大阪府枚方市を本拠とするボーイズリーグの「オール枚方ボーイズ」の監督も務めている。NHKの野球解説者として85年から2010年の間、高校野球の実況放送に携わっている。
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坂口雅久(元立教大学野球部監督)
1951年生まれ、東京都出身。立教高校から立教大学への進学し、東京六大学リーグでは1972年の春・秋リーグに二塁手としてベストナインを受賞。卒業後は松下電器産業(現・パナソニック)に入社。選手、コーチを経て、2004年1月に立教大学公式野球部監督に就任。
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川口啓太(前明治大学硬式野球部監督)
1977年、明治大学商学部卒業。95年、筑波大学大学院修士課程体育研究科コーチ学修了。明治大学在学時は硬式野球部に所属し三度のリーグ優勝に貢献。3年時、東京六大学リーグ春秋連覇を達成、春季リーグ戦では三塁手としてベストナインを受賞した。その年の大学選手権ベスト4、神宮大会優勝。80年、第62回全国高等学校野球選手権大会に茨城県代表・江戸川学園取手高校の部長として出場。静岡県・沼津学園高校の教諭、監督を経て平成3年・明治大学野球部コーチ、平成15年・助監督、平成16年・監督に就任。現在、明治大学商学部准教授、全日本大学野球連盟評議員、選抜高等学校野球大会選考委員。
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鬼嶋一司(元慶應義塾大学硬式野球部監督)
1956年生まれ、神奈川県出身。78年に慶應義塾大学を卒業後、川崎製鉄株式会社に入社し捕手として活躍。84~87年は川鉄千葉(現JFE東日本)硬式野球部監督を務める。88年からは扶桑電機株式会社に入社し、98年からは代表取締役社長を務める。2001年、慶應義塾大学体育会野球部第15代監督に就任。04年秋季リーグでは優勝に導く。06年からはNHK野球者解説者として活躍。2011年から選抜高等学校野球大会選考委員。
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林 清一(日本リトルシニア中学硬式野球協会理事長)
投手として早稲田実業高校、早稲田大学でプレー。卒業後は大昭和製紙に入社し、1980年の第 51回都市対抗野球大会ではマネジャーとして優勝を経験。86年に東京六大学野球の審判員となり、5年後に高校野球、94年からは社会人野球も担当。2004年アテネオリンピックでは決勝で一塁塁審を務めた。現在は一般財団法人日本リトルシニア中学硬式野球協会理事長。
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應武篤良(前早大野球部監督)
1958 年生まれ、広島県広島市出身。崇徳高校3年生春には第48回選抜高等学校野球大会で全国制覇。81年に早稲田大学教育学部を卒業後、新日鉄に入社。卓越したリードで社会人野球界でも評判の名捕手となり、8年のソウルオリンピック日本代表など日本代表選出経験は多数。2005年には、早稲田大学第17代監督に就任。退任するまでの6年間でリーグ優勝6回、全国大会優勝1回。現在は新日鉄に勤務。
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和泉 実(元早実野球部監督)
1961年生まれ、東京都出身。78年早稲田実業学校高等部にて捕手として春夏連続で甲子園に出場。早稲田大学卒業後、食品会社に勤務。84年に山口県立南陽工業高等学校野球部監督に就任。92年に早実野球部監督に就任。2006年に斎藤佑樹を擁し10年ぶりに出場した全国高等学校野球選手権大会の決勝では、田中将大(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)率いる駒澤大学附属苫小牧高等学校を再試合の末に破り、初優勝を成し遂げた。